2009年11月22日

ウィキペディア日本語版が象徴すること

ウィキペディアには不正確な情報が多いので、利用には注意が必要だ、という研究者や教育関係者がいる。

もし、不正確な情報や誤りがあるなら、それに気付いたあなたが訂正すればよい。それがウィキペディアの理念だ。

筆者も、自分の研究分野で、明らかな誤りがある場合は訂正するし、また補足情報があれば追記するようにしている。

ウィキペディアに寄稿しても、原稿料はもらえないし、いわゆる研究業績にもならない。完全なボランティア。しかし、急激なネットの発展の中で、ウィキペディアの情報源としての利用度が高まっていることはもう既成事実。

もし日本の研究者、学者がウィキペディアを否定するなら、それに代わるものを作るべきだ。しかし、そこまでできないのなら、ウィキペディアをよりよいものにするべく、協力するべきだろう。

しかし、日本の研究者、学者は依然として高踏的、閉鎖的サークルを好む傾向があり、若手もそうなので、未来は暗い。これは、学問研究が、人々の生活の向上と幸福のために共有されるべき、という啓蒙主義的な発想に乏しく、体制や権力を維持するための御用学者的な体質が根強いことによる。

つまるところ、ウィキペディア日本語版の現状は、啓蒙主義と近代科学の成果を表面的に移入しただけで、本質を理解せず、また民主主義も根付いていない封建制国家日本の象徴なのだ。

posted by 城名山粋太 at 18:38| 教育と社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

科学技術立国のため?ほんとかな〜〜

これも、事業仕分けの話題。次世代スーパーコンピュータやGXロケットエンジンの開発に待ったがかかったが、これらは科学技術立国のために必要、という反対論がある。

基本的には、コンピュータ技術や宇宙工学は、科学技術立国のために必要だろう。ただし、問題は、だからといって現在の税金の投入の仕方まで無条件に容認されるものではない、ということ。

一部の日本人の間には、「第2次大戦で、日本はアメリカの物量に負けた」という認識があるが、このトラウマが、科学技術開発には金に糸目をつけない、という発想に結びついているのではないか。

しかし、ここで忘れてはならないのは、アメリカは物量だけではなく、すぐれた頭脳を多く擁し、しかもそれを国家が効率的に活用できたということ。

科学技術の進展には、ある程度の経済的基盤が必要だが、金をかければよい、というものではない。基礎的な研究から、実用化にいたるまでのさまざまな段階で、独創的な発想や柔軟な発想がなければ、既存技術の改良の域を出ない。

そして、日本はこの既存技術の改良が得意なのだ。

それならそれで、敢えて最先端技術の競争には参加しない、という選択肢もある。「2番ではいけないのか?」という仕分け人の発言にも一理あるのだ。

1945年以前、日本のGDPに占める軍事費は膨大なものだったという。日本は国民の生活を犠牲にして軍備拡張に走った。

同じことが、現在では科学技術立国の名目で行われているのではないか。

日本が主権在民の国家であるなら、現行の税金の使途が、本当に日本の科学技術立国に寄与しているのか、国民が自ら判断しなければならないだろう。この意味で、今回の事業仕分けは画期的なものであり、今後も国がどのような事業をどのように行うのか、国民に広く公開されるべきだろう。

posted by 城名山粋太 at 11:25| 教育と社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

時代錯誤の箱モノ:日本科学未来館と国立女性教育会館

先般の事業仕分けで話題となった日本科学未来館と国立女性教育会館。いずれも文科省の管轄であり、広義での教育施設だが、どんな意味のあるものなのか。

結論からいえば、いずれも時代錯誤の箱モノ。そもそも、ネット以前の社会では、主として紙媒体の情報を蓄積する施設が必要であり、またそれを利用する人々のために、一定規模の図書館や資料館などが必要だった。また、情報交換、意見交換のための研究会や学会も、人々が集まる必要があり、そのための施設が必要だった。

そう、いずれも過去形の話し。インターネットが発達した現在では、情報は電子化すればネット上で自由に、安価に、柔軟にやりとりできる。情報交換や意見交換も、メーリングリストや掲示板で行うことができる。

わざわざ交通費を払い、時間をかけて○○センターだの、○○会館に行く必要はないのだ。

日本科学未来館や国立女性教育会館の管理運営に費やす費用は、情報や資料の電子化と、インターネットでの情報提供や情報公開に回すべきだ。

日本科学未来館の展示物や体験コーナーなど、電子化に適さないものは、巡回移動できるようにし、全国を回るようにすれば、はるかに多くの国民がそれらに接することができる。

どんと豪勢な箱モノを構えて、国民に「見たければここまで来い」というのは、官僚の傲慢であり、封建的な権威主義といえるだろう。
posted by 城名山粋太 at 10:43| 教育と社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月04日

大学教員の公募の実態

昨今は、国公立大学の専任教員は公募によって採用されることになっている。

しかし、その実態は、あらかじめ採用者は決まっていて、形式的に公募の手続きをとる場合もあるようだ(もしかすると、ほとんどがそうかもしれない)。つまり、俗にいう「できレース」。公募を担当するなんちゃら委員会は、学内スタッフに限られるし、チェック機関がないから、「公募の結果、この人物を選びました」といえば誰も文句はいえないのだ。

国公立でこのていたらくだから、私大ではもう、情実、コネ、植民地化、派閥でわけがわからない。

ちなみに植民地というのは、特定の有力国公立大学や有力私大から、新興私大に教員が集中する現象。一般には国公立大学を60才前半で定年になった教員が、定年が70才の私大に再就職し、その際に若い弟子も連れて行ったりすることで植民地化が始まり、その後はルートが確立されて特定の大学出身者が集中する。

民主党政権になってから官僚の天下りが問題となっているが、官僚が教員として私大に採用されることも多く、そのあたりもチェックが必要だろう。
posted by 城名山粋太 at 11:46| 大学を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月31日

文科省から私立大学への天下り問題

2009年8月末、衆院選挙の直前に、以下のような報道がなされた。

 文部科学省から過去5年間に天下った幹部職員OB162人のうち、3分の1を超える57人が私学(学校法人)に再就職していたことが28日、産経新聞の調べで分かった。


文科省は各種の許認可権限を持っているから、私学、特に新興の私学は文科省のご機嫌をとらなければ、学部の開設やら大学院の開設やらが思うようにできない。このため、しばしばさまざまな名目で文部官僚を迎え入れて文科省とのパイプを強化しようとする。

その結果、許認可がスムースに進む。実際、申請のために文科省へ行ったある私大教員から、窓口での対応がまったく違う、という話を聞いたこともある。コネのある大学はすんなり申請を受け付けてもらえるが、そうでない大学は、なにかと文句をつけられるというのだ。

しかし文科省とのパイプを太くする最大の目的は、各種補助金、助成金の獲得が有利になる、ということだろう。

私大への補助は、日本私立学校新興・共済事業団が行っているが、そのホームページには助成の状況も公開されている。たとえば、平成19年度、全国526の私立大学にどれくらいの費補助金が支給されたか、以下のページに一覧表がある。

私立大学等経常費補助金
http://www.shigaku.go.jp/s_hojo_h19a.htm

この一覧と、上述の文科省の官僚の天下り先を照合すれば、いろいろ興味深いことがわかるだろう。たとえば、もし仮にあまり知名度の高くない大学や大幅に定員割れしている大学が、同じ状況の他大学に比べて突出して多くの補助金を受けていたりすれば、その背景にはなんらかの不正、不公平が隠れている可能性が高い。

【追記】
以前に文科省のある官僚の子が、それほど顕著な研究業績がないにもかかわらず、国立大学の専任教員に採用されたという話を聞いたことがある。また、旧大蔵省のある官僚の子も、業績も能力も見劣りするにもかかわらず、専任教員として採用するようにいくつかの大学に圧力がかかり、結局、ある私立大学に採用されたという話を聞いたこともある。真偽のほどはわからないが、そういう話が噂になる、ということだけでも、国公立大学や私立大学に対する中央官庁の絶大な権力を象徴しているといえるだろう。
posted by 城名山粋太 at 10:27| 大学を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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