2009年10月04日

大学教員の公募の実態

昨今は、国公立大学の専任教員は公募によって採用されることになっている。

しかし、その実態は、あらかじめ採用者は決まっていて、形式的に公募の手続きをとる場合もあるようだ(もしかすると、ほとんどがそうかもしれない)。つまり、俗にいう「できレース」。公募を担当するなんちゃら委員会は、学内スタッフに限られるし、チェック機関がないから、「公募の結果、この人物を選びました」といえば誰も文句はいえないのだ。

国公立でこのていたらくだから、私大ではもう、情実、コネ、植民地化、派閥でわけがわからない。

ちなみに植民地というのは、特定の有力国公立大学や有力私大から、新興私大に教員が集中する現象。一般には国公立大学を60才前半で定年になった教員が、定年が70才の私大に再就職し、その際に若い弟子も連れて行ったりすることで植民地化が始まり、その後はルートが確立されて特定の大学出身者が集中する。

民主党政権になってから官僚の天下りが問題となっているが、官僚が教員として私大に採用されることも多く、そのあたりもチェックが必要だろう。
posted by 城名山粋太 at 11:46| 大学を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月31日

文科省から私立大学への天下り問題

2009年8月末、衆院選挙の直前に、以下のような報道がなされた。

 文部科学省から過去5年間に天下った幹部職員OB162人のうち、3分の1を超える57人が私学(学校法人)に再就職していたことが28日、産経新聞の調べで分かった。


文科省は各種の許認可権限を持っているから、私学、特に新興の私学は文科省のご機嫌をとらなければ、学部の開設やら大学院の開設やらが思うようにできない。このため、しばしばさまざまな名目で文部官僚を迎え入れて文科省とのパイプを強化しようとする。

その結果、許認可がスムースに進む。実際、申請のために文科省へ行ったある私大教員から、窓口での対応がまったく違う、という話を聞いたこともある。コネのある大学はすんなり申請を受け付けてもらえるが、そうでない大学は、なにかと文句をつけられるというのだ。

しかし文科省とのパイプを太くする最大の目的は、各種補助金、助成金の獲得が有利になる、ということだろう。

私大への補助は、日本私立学校新興・共済事業団が行っているが、そのホームページには助成の状況も公開されている。たとえば、平成19年度、全国526の私立大学にどれくらいの費補助金が支給されたか、以下のページに一覧表がある。

私立大学等経常費補助金
http://www.shigaku.go.jp/s_hojo_h19a.htm

この一覧と、上述の文科省の官僚の天下り先を照合すれば、いろいろ興味深いことがわかるだろう。たとえば、もし仮にあまり知名度の高くない大学や大幅に定員割れしている大学が、同じ状況の他大学に比べて突出して多くの補助金を受けていたりすれば、その背景にはなんらかの不正、不公平が隠れている可能性が高い。

【追記】
以前に文科省のある官僚の子が、それほど顕著な研究業績がないにもかかわらず、国立大学の専任教員に採用されたという話を聞いたことがある。また、旧大蔵省のある官僚の子も、業績も能力も見劣りするにもかかわらず、専任教員として採用するようにいくつかの大学に圧力がかかり、結局、ある私立大学に採用されたという話を聞いたこともある。真偽のほどはわからないが、そういう話が噂になる、ということだけでも、国公立大学や私立大学に対する中央官庁の絶大な権力を象徴しているといえるだろう。
posted by 城名山粋太 at 10:27| 大学を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月11日

大学だけの問題なのか?

朝日新聞2009年8月10日19面「多様化の時代の大学教育は」を読んだ。
シンポジウム「質保証の全体像を探る」の要約もあるのだが、大した内容ではなかった。

そもそも、基調講演は東京大学名誉教授、パネリストは大学入試センター教授、広島大学准教授、国立教育政策研総括研究官、国際基督教大学教授、文部科学省高等教育政策室長。つまりは著名大学教員と文部官僚という、お偉い人たちの、上から目線のありがたいお話し。

彼らの議論は、一見もっともらしいが表面的な技術論が多く、現状追認で、日本の教育の本質的問題をどこまで理解できているのか疑問だ。

そもそも問題を大学に限定して議論するところからして間違っている。

現在の日本の大学教育の問題点は、基本的には小中高の教育の質が低下し、まっとうな教育ができていないことに起因する。それを無視して、いくら大学教育をいじくりまわしても問題は解決しない。

逆にいえば、生徒や学生の立場に立った議論ではないともいえる。ひとりの学生は、小、中、高を経て4年間大学で学ぶのであり、それぞれの段階で何をどう学んできたかが問われるわけだが、ここでの最大の問題点は、基礎学力に乏しく、学ぶ意欲もない生徒が大量に生み出されていること。その責任は日本の社会全体にあるといえるが、しかし、現場の声を聞かず、教育官僚が絶大な権力を持ち、御用学者のご都合主義で理屈をつけた貧弱な教育政策を上から押しつけるだけの文科省の責任も大きい。

解決策は何か。

これはもう、小、中、高の各段階で、基礎学力を身につけていない児童生徒は徹底的に補習を行い、留年させてでも勉強させるしかない。それをせずに、大学で「初年次教育」などと称して中高の復習のようなことをやらせても、本質的な解決にはならない。質の低下がさらに進行するだけだ。

そして、日本の教育を官僚主導から、児童生徒学生主体の観点から、保護者、地域住民と現場の教師が協力して作り上げていく、本来の意味での民主主義的教育に再編していくことが必要だ。

(2009.8.12加筆修正)


posted by 城名山粋太 at 13:10| 大学を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月04日

無駄な科研費は削減し有効活用を

「科学研究補助金」、通称「科研費」と呼ばれる制度がある。

審査に合格するとけっこうな額が支給される。これは独立行政法人である学術振興会が支給するが、実質は税金からの出費で、平成20年度の当初予算は1571億円だ。

昨今は、特に外部の研究費の獲得数が大学評価の基準となるため、大学が教員に各種研究費の申請を奨励する傾向がある。

しかし端的に言って、文系の大部分と、理工系の一部の研究はほとんど社会に貢献しておらず、かといって長期的に見て人類の知の進展に寄与しているわけでもなく、明らかに無駄だ。

上述の科研費のホームページには「ピア・レビューによる審査を経て、独創的・先駆的な研究に対する助成を行うものです」との文言が掲載されているが、「ピア・レビュー」とは、つまるところ仲間内で審査し合うということで、分野によっては、どう見ても独創的でも先駆的でもないような「自称研究」にも百万単位の補助金が支給されている。

百歩譲って、どんな研究も無駄ではない、なんらかの価値がある、としても、優先順位が低い研究が多い。

何に比べて優先順位が低いのか。現在の日本の医療、福祉、教育全般のおそるべき貧困の解消こそが、まず優先されるべき。

文系の、ほとんど趣味や道楽のレベルの「研究」には、税金から研究費を支給する必要はない。そういう研究に回す予算は、たとえば保育園の充実、貧困家庭の教育費援助、本来の意味での奨学金(返済不要)など、社会が切実に必要としているところに回すべきだろう。

・科学研究補助金
・日本学術振興会

2009.6.18加筆修正
posted by 城名山粋太 at 21:37| 大学を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月27日

大学基準協会の大学評価

文部科学省は国内の大学に対し、7年に一度、第三者機関による大学評価を義務づけているそうだ。この大学評価を行う機関はいくつかあるが、その中でももっとも厳しいといわれているのが大学基準協会。

2009年3月23日、この大学基準協会が平成20年度の大学評価の結果を公表した。公私立大学44大学が申請し、そのうち5大学は「保留」判定となったという。

保留になった5大学の場合、大幅な定員割れをしている、逆に定員を超過している、資格のない教員に大学院での論文指導をさせている、などの問題点が指摘されている。

下記ページに認証を得た大学と保留になった大学の詳しい評価結果がPDFファイルで公開されているので、大学選びの際にはぜひチェックするべきだろう。

大学基準協会大学評価

抽象的な「建学の精神」とか「教育方針」などは大学側の主張をそのまま掲載しているものの、入学者数や教員数、財務状況など、具体的に数値化できる部分についてはけっこう細かく問題点の指摘がなされている。

全体としては、いくら大学が喧伝する理念や教育内容がご立派でも、学生が集まっていない大学はダメ、財務基盤が脆弱な大学はダメ、という基準で評価しているように読める。

ところで認証を得た大学だからといって安心はできない。評価結果をよく読むと、認証されている大学にも、いろいろ問題があることがわかる。

さらに、このような認定評価では表に出てこない問題もある。

たとえば前述の「無資格教員が論文指導をしていた」という問題だが、ここでいう「無資格」というのが、いわゆる「マル合教員ではない」ということなら、筆者としては「マル合教員ならいいのか?」と問いたい。

私大の大学院では、しばしば国立大を定年になったマル合教授を迎えるケースがある。国立大の定年はおよそ65才前後だが、私大の定年は70才前後のところが多い。つまり国立大定年後、さらに5年ぐらい私大に勤務できるということ。しかし、この年齢になると、中には記憶力、判断力がかなり低下していて、とてもまともな指導ができるとは思えないケースもある。

国立大定年の教官が私大の大学院指導教員になるのは一種の天下りであり、教育的な面で極めて弊害の多い慣習だ。

大学基準協会の評価結果を読むと、しばしば以下のような指摘が見られる。
専任教員の年齢構成に関して、61〜70歳の教員の比率が、○○学部で36.9%、○○学部で47.7%、○○学部で39.3%、○○学部で40.0%と高い。

このような大学は、天下り教員が多い可能性が高いといえる。

このブログの関連記事:マル合?

***


【追記】

大学評価を行っている機関には、他に以下の2団体がある。

(独立行政法人)大学評価・学位授与機構
(財)日本高等教育評価機構

前者は、もともとは防衛大学など、文科省管轄ではない高等教育機関の卒業生に学士号を与えたり、短大専攻科修了生に学士号を与えたりするための「学位授与機構」として発足したものだが、その後、大学評価も行うようになった。昨今、話題となっている独立行政法人だ。3つの認定組織がある、というのも、よく考えれば無駄な話だ。

(2009.11.06加筆修正)

posted by 城名山粋太 at 08:41| 大学選び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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